「輝く日を仰ぐ時」というタイトルの讃美歌(讃美歌第二編161番)があります。カール・グスタフ・ボーベリー(1859-1940)氏によって記された詩がベースとなっており、スウェーデンの民謡をメロディとした賛美歌で、世界中の多くの人々に愛されている曲です。この讃美歌の日本語歌詞は以下の通りになります。

「輝く日を仰ぐ時」


輝く日をあおぐ時 月星ながむる時
いかずち鳴り渡る時 まことの御神を思う
Chorus:
我が魂(たま) いざたたえよ 大いなる御神を
我が魂(たま) いざたたえよ 大いなる御神を

森にて鳥の音を聞き そびゆる山に登り
谷間の流れの声に まことの御神を思う
(Chorus くりかえし)

御神は世人を愛し ひとりの御子をくだし
世人の救いのために 十字架にかからせたり
(Chorus くりかえし)
天地造りし神は 人をも造り替えて
正しく清き魂 持つ身とならしめ給う
(Chorus くりかえし)

歌詞にもありますが、青空や眩しい太陽を見る時、また夜の星空を見る時、大自然の荘厳な神秘に触れるたびに、なんと調和のとれた自然なのだろうと驚きます。

美しい虹を見るたびに、まるで絵画のような素晴らしい朝焼けの情景を見るたびに、神の力、知恵に驚くほかありません。「神様は私たち人間のために、なんと美しい自然を用意してくださったのだろう…!」と。

私がクリスチャンになったのは、高校3年生の時でしたが、それまで神がいると思っていませんでした。「いるのかな…」と思ったことはありますが、明確ではありませんでした。しかし、クリスチャンになって、神がおられ、宇宙と自然を造られ、人間を造られて愛してくださるんだということが分かった時に、ずべてが変わって見えました。確かに瞳には昨日までと同じものが映っていたのですが、神の愛を知ってから、山を見ても川を見ても、神のみ手がそこにあったということが見えるようになってきました。網膜を通して見えていたもの、神経を通して見えていたもの、それを超えた何かが、クリスチャンになると見えるようになってきました。

聖書は「初めに神は天地を創造された」(創世記1:1)と語り、私たちに存在の意味、生きる意味を教えてくれています。使徒パウロはローマ1章を通して、「神がおられることは、周りに存在する万物を通して明らかだ」と述べ、この世界とその中に満ちているものをデザインされたお方がいらっしゃるということを語っています。

自然に満ち満ちた素晴らしい神の愛が、きょうも私とあなたの上に注がれています。

聖書を通して、驚くほど素晴らしい神の愛に触れてみませんか。